運動会で潰されていく子どもたち


運動会シーズンが終わりました。

観覧する者としてはとても楽しく、生徒たちの練習の積み重ね、先生方やPTAの皆さまのご苦労など、それぞれにドラマがあって、感動と慰労の気持ちでいっぱいになり、やっと一段落と胸を撫でおろすような気持ちがしていました。

これまで、支援員として小学校に入るまでは。


先日、昨年から関わっていた小学校の運動会を見に行ったのですが、正直、胸がつぶれるような想いを抱えながら見ていました。


子どもたちは”立派に、きちんと、整然と”開会式から閉会式まで、種目も応援もこなしていました。

先生や大好きな家族に、”立派さ、上級生らしさ(学年にふさわしい態度)やきちんとできるようになった成長ぶり”を見せようと、褒められたいと、けなげにすごく練習を頑張ってきて、当日披露しています。

一方で、”言われた通りにきちんとこなすこと”に一生懸命になるあまり、表情は乏しくなり、毎年繰り返している同じこと、”やらなければならないと課された事”をやっている無抵抗さに、味気無さどころではない悲痛な気持ちすら感じました。

彼らはできるようになったことがある反面、失ってしまったものもある。
失ったものは、決して運動会で披露されることはなく、誰も、本人ですら気付かないまま葬られていく。

一年の一大イベントの運動会に限ったことではありません。
季節ごとのすべての行事が同じ様相ですし、毎日の授業だってまったく同じです。

そんな教育を6年間も受けるなんて。中学校も入れたら9年間!?

やはり日本の教育はおかしいんじゃないですか?

戦後教育という言葉を聞きかじったことはありますが、日本の国家による教育操作という懸念を拭い去ることができません。

私も昨年一年間ずっとどうしたらいいのか、何もできない自分の非力さに苛まれていました。

何人もの子どもが集う集団、組織ということになると規律やルールは否めないのですが、そのためにすべての子どもが平均化、当たり前という無味化されていくのが、理想的な教育とは思えません。


子どもたちの、個性的な感性や表現力が抑えられ、どんどん乾涸びていく。


もちろん子どもたち全員がそうではないですし、学校~教員からの影響をものともせず、個性を発揮して逞しく成長していく子どもたちもいます。

季節の行事に関しては、今日こそ晴れ舞台!と張り切る子もいますし、好きな場面を楽しめる子もいます。

いや、むしろ子どもたちは制限だらけの中でも、何か楽しめるものを、子どもなりの意義というものを見つけようとすらしています。
それを枠の中での順応とも呼べるかもしれませんが。

友達との関わり、勝った負けたの感情の動き、集中したり、練習の成果を発揮し、全力を注ぐ爽快感、知力を蓄える喜び・・・
行事や学校の中には、いいところもたくさんありますね。


ここに書いているのは、ごく一部の子どもたちのことかもしれませんし、潜伏的な可能性で言うなら一定数以上の子どもたちのことと言えるかもしれません。


個と集団のはざまで、国家を相手にしたやるせない呟きにお付き合いいただきまして、ありがとうございます。


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