発達障害という天性


発達障害と呼ばれる特性を持つ人たちは、その言葉が広く認知されていなかっただけでこれまでも存在していたことを校長と話し合ったことがありました。

校長はご自分の世代にも”ちょっと変わった人”はいたんだよ、と仰いました。

たしかにそれはそうだと思います。


ただし昨今、明らかに違うバイブレーション・・・まったく違うベースで生きている人たちがいると感じています。

まったく違う機能で存在するために生まれてきたような。

彼・彼女らは適応するのがとても難しいと気付き始め、もっとも新しく誕生している子どもたちは、すでに気付いています。


私のことから少し触れておいた方がいいかもしれませんね。

中学時代のことですが、当時仲の良かった友達の間で逸話になったことがありました。

それは校舎の2階のベランダの手すりにのぼって、にこやかにスキップしたこと。

2階のベランダの手すりと言えば、空中に設置された平均台のようなもの。
そこでちょっとふざけた延長で、少しも怖がることなく楽しそうにスキップをして見せたことで、周りの人たちはびっくりしたようでした。

初めての海外一人旅では、初日の宿さえリザーブせずに飛行機に乗って出発したこともありました。


さて、ここで。

① 私を定型発達の普通の人というベースで見るなら「ちょっと無鉄砲で、飛んで火にいる夏の虫のような人」で済むことでしょう。

①’ 好意的に見てもらえるなら、恐れ知らずで、危険をかえりみない勇敢なチャレンジャーだと思う人が、中にはいるかもしれません。

② 私を発達障害というベースで見るなら、普通備わっているはずの、不安や危険を察知するセンサーがうまく機能していないと判断されるかもしれませんし、また、一般的な人が予測不可能さに慎重になるべきところで、衝動性が発動しているとも言えるでしょう。

③ スピリチュアル的な視点をベースにするなら、未来予知のような、絶対に危険なことにはならないと魂レベルで確信している、とも表現できます。

私は、発達障害という表現を好まず発達上の特性だと受け止めていますが、その境界線が極めて曖昧だと感じてきました。


最近は、HSC/HSPという表現も入ってきていますし、インディゴチルドレン/クリスタルチルドレン/レインボーチルドレンと表現されることもあります。

共有している特性が多く、それらが複雑に入り混じっている。

そして、そのボーダーラインを引くことにあまり重要性を感じていません。


私が出会ってきたスタンダードとは言えないコースを生きている人たちも、誰一人として障害とは思えませんでした。

ただ、違う。


特性が際立っていて、パーソナルな意思が強く、そしてハートフル。

彼・彼女らには一定の共通する特性も見つけられたように感じています。

とりとめのない文章になってしまいましたが、発達障害と診断されたからといって親の方も本人も絶望したりしないでほしいですし、人とは違うコースを生きているという理由で、自分をあきらめないでほしいと思います。

誰もそのままでとても魅力的でした。
存在自体がかけがえのない、他の誰にも変わりが務まらない価値があり、幸せに生きることができると今も疑う余地がありません。

親の方は特に、大変なことはたくさんありますが、発達障害と診断されたからといって、医師や学校の教員や、専門家という肩書きを持つ人の判断に委ねきってしまわないでほしいと思います。

専門家の見解を参考にはしても鵜呑みにせず、自分たちの手綱は、しっかり自分たちで握っていてください。



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