敏感すぎる子どもたちに共通する自己万能感

音に敏感で疲れやすい・・・

大きな音に不安がる・・・

眩しさに弱い・・・

匂いに敏感・・・

皮膚が敏感・・・

食にも敏感・・・


概して五感が敏感すぎる子どもたちは、気性も敏感であるように感じます。

こだわりが強いので、当然といえば当然なのですが、いわゆる「プライドを傷つけられた」と感じる度合いが格段に激しいように感じられるのです。


誰にでもあるプライドですが、これが”プライド”という言葉では間に合わないように思えてならないのです。


自己万能感。


・自分はできるはず。他の人にできて自分にできないはずがない。

・自分は優れていて万能だ。

・自分は能力が高い。

・自分は才能がある。

・すごいと認めてもらいたい



どこかで自分のことをとても優れた存在だという確信が備わっているようなのです。

備わっているというのは、親や誰かから褒められたとかいう根拠があるわけでもないし、またそれが得意だという理屈もないのに、です。

そして事実、何かしらの稀有で突出した技能が秘められていると感じることが多いです。


ただ「自分はすばらしい」という自己認識が、”人との比較”の上で成り立ってしまう子も中にはいて、そのためにせっかくの「すばらしい自分」を傷つけてしまうのですよね。

他にも、成長の過程でどうしても親に怒られたりだとか、友達や兄弟と比べられたり、他の子ができるのに自分はできないという体験も避けられない。
そうすると、出来なかったことがものすごく自分のイメージの中で肥大化してしまうんです。

敏感でない人ならスルーできることが、彼らにとっては衝撃的な出来事として、自分の歴史上決して見逃すことができない汚点として捉えられてしまうことがあります。

一般的な人には「どうやら自分はできてないらしい、苦手なようだ」と、歩いていたら「あ、つまづいたな・・」くらいのかすり傷程度で済むところが、彼らは宇宙船にでも乗って悠々と生きていた(生きていく)つもりが、不意の墜落事故レベルの大打撃なのです。


有能なすばらしいハズの自分・・・という高いところにある自己イメージから、一気に落下するかのごとくの自分像

この落差の激しさゆえに、衝撃の痕跡もなかなかにサラには戻れません。

繊細で敏感な子どもたちは、傷つきやすい。そして傷が深い。

ゆえに傷付いた体験がなかなか解消されないままに、無意識にその埋め合わせを求めるループが繰り返されてしまう。
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「自分はすばらしいはずなのに・・・」

自己イメージが、当然できるハズの自分という高いところにあるからこその落差に苦しんでしまい、その埋め合わせの方法を必死で探しています。

そして、もとの高いところにいる自分像を取り戻そうとしますし、それが難しいと何とかして取り繕おうと体裁を保とうします。

さまざまな症状や・・・

やたらと攻撃的になったり、逆に閉じこもったり、自己防衛のための弁護や嘘だったり、一切を言わずに隠したり、問題行動と呼ばれるような言動や症状は、その埋め合わせのための手段であることが多いです。


彼らのそんな言動に対して、大人ができることは・・・

手段として表面的に表れている言動を矯正しようとすれば、逆効果ですよね。

表に表れている言動に対処しているだけでも、それが続いてしまう。つまり、また同じことをすれば対処してもらえることになる。

自分では手に負えなくて、本音では誰かに対応してほしくて何らかの手段となって表れているので、表面的な現象をスルーせず丁寧な応対は必要です。

ですが、SOSをあげているのは自己イメージの崩壊です。

「自分はすばらしいはずなのに、できない。」

「すごく愛される自分のはずだったのに、愛されない。」


まとめます。

1.そもそもの自己イメージが高い。
2.それが人との比較からくるものなのか。ならば、人との比較を外していけるように。
3.自分の地位が失墜したとして、危険ではないこと。むしろ失墜してなどいないこと。心配することではないこと。他のいいところがあること。変わらず愛されていること。他にも道があること。etc

この3つのステップを、親子で(あるいは関わる大人と)、同じ深度で体感していく体験を共有していくこと。
1回では済まない、何度も何度も繰り返し、ですね。

自己イメージは、高いままで構わない。
ただそのために、自分の中で落差が大きくなってしまいがちということを知っておく方が子も親も客観的に受け止めやすいかと思われます。

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